こころの話

病名がつくということ

今回は長らく感じていたことを感覚のままに書きますので
感情的で裏づけがないままなのも大目にみてください

子どもを持ってから、折々に感じたことですが
このごろ「病名」が多いと思いませんか
自分が子どものころには聞いたこともないような「病名」が
たくさんあって、どんどん病気が発見されているのかなぁ~

今年24歳になる長女が小学校に入学したとき、最初の懇談会で
あるお母さんが涙ながらに
  自分の息子は「注意欠陥多動性障害」なんです
と訴えられました
当時、たぶん誰もそんな病名は耳にしたこともなく、
ぽか~んとした覚えがあります
確かにそのお子さんは多動ではありましたが
やんちゃだね、くらいにしか思っていなかったので
そのお母さんの深刻ささえも実はよく理解できなかったのです

数年前に「片付けられない症候群」がテレビで取り上げられて
ずいぶん話題になりましたが、そのころ我が家では、
ちっともお片づけが出来ない末っ子がこれではないかと、
大真面目で思ったものでしたが…
検査して、逆にそうではなかったら単なるずぼらって
それはそれでショックだから調べることもなかろう、と…
これは笑い話ですが、疑えばきりのない症状はいっぱいあります

改めてこんなことを思ったのは
長女が結構極端な性格で??
感情が激しく、まぁ我がままなんですが
例えば運転とか、今の職場での仕事とか、
ある分野にすばらしく力を発揮するんです

母親から見れば、単に向き不向きの問題と思うのですが
たまたまこの話をした相手から、
  それって少しアスペルガーの傾向があるんじゃない?
と言われたんです

…でもね、子どもが小さければ、そんな風に言われて
いろいろと思うところもあったかもしれないけれど
この年齢ですから、娘の性格、よく分かっていますもの
これは正直、的外れです

たぶんアスペルガー症候群のお子さんたちが
ある種の才能を持っている面が注目されるがゆえに
性格の偏りが目立つ我が娘に当てはめられたんでしょう

ある意味、ほめられてるんだなぁ~ なんて思いましたよ

以前の末っ子の片付けられない問題と
長女のぶっとび性格のことなどなど…
いろいろ考えると、病名が付くことはある点では
原因がはっきりして、安心するし、よりどころになる、
あるいは、言葉は悪いけれど、言い訳になる、
そんな風に感じてしまいました

私自身が中学生のころ、今で言ういじめにあっていたけど
いじめ、って思わなかったので、普通に戦っていました
もし、いじめられている、って「知って」いたら
くじけたり、被害者意識に走ったりしていたかもしれない

これはあくまでも、私の体験による感じ方ですし
よくよく考えるに、それこそ「病気」ではなく「性格」でしょう

でも、物事には二面性があるってことですよね
認めることで楽になることも大いにあります
認めることで戦う気力をなくすこともあります
それぞれ、それに直面する人の捉え方しだいでしょう

こんなことを考え始めてから
なにかに名前を付けることって、本当に必要なのかって
思うようになりました

病名が付いても付かなくても
ウチの末っ子は散らかしまくるし、長女もぶっ飛んでる…
でも、それで楽しく暮らしていければ、それが「健康」

そんな風に思うようになりました

今回の私の考え方は 極端だとは思いますし
何かの病気に直面しているかたがたに対して
大変な失礼をしているかもしれません
これはあくまでも、あいまいな「性格」に対しての思いです
たぶん、しっかり読んでくださった方には
十分ご理解いただけたと思います

この記事は、2011年6月13日(月)にFC2ブログに投稿したものを編集しています。

投稿者

tokyomatsuzaki@gmail.com
サイト管理人です。

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2020年12月25日