ガラスの心を持ってしまったら…
自分で言うのもナンですが…
私は結構、傷つきやすい人間です!
小学生の頃の通知表の子どもの様子、みたいなところに
よく「几帳面で繊細なお子さんです」なんて書かれてました。
「几帳面」に関しては…(今や笑い話???)
だけど、この几帳面、というのは繊細の手前にあるもので
今でもよく覚えているのだけれど、小学校2年生のとき
折り紙を折ろうとして、最初に三角にするときに
角と角がきちんと合わない…
これに納得がいかなくって、一生懸命合わせようとして
それだけで相当な時間がかかり、っていうか進まない。
既製品はちゃんと形が合うはずである、って信じてたんです。
これは几帳面な、というよりも、こだわり、ですよね。
繊細なこだわり、って今の自分は思ってるんですが。
実際今でもそんなところがありますねぇ。
だけど、こんな性格はね、実社会ではいやがられる、
今風に言えば、メンドクサイ人間、うざい、ってヤツで
いいじゃん、そんなことぉっっ
って声の方が、多いんじゃなくって大きいんですよね。
いいじゃん、そんなこと、って言える人は
声が大きい、って実感しませんか。
だってぇ…、って言う人は、大声が出せないから
むしろ、繊細だから大声が出せないんですよね。
必ずしも、繊細な人が少ない訳じゃないと思いますよ。
だから心を病んでしまう人が多いんだし、
声が大きい人だって、本当はこだわりを持っていたり
人知れず悩みは抱えているはずですよね。
で、幼い繊細な私はどうなったのか…
そうです、失敗ばかりの子どもでした。
ラジオ体操一つとっても、朝礼台の先生が右手を上げる、
ああ、右手を上げてるから、私も右手を上げる…
お~い、そこ、反対だろっっ
って、叱られる、不本意な私…
当時は、子どもに向き合う、なんて風潮もなかったし
違うは違う、だけで片付けられてしまうことばかり。
人生納得いかないことばっかり、の子ども時代でしたよ。
たぶん、今、自分が思いっきり人と違うことを堂々と?
やらかすのは、既に大人だからいいじゃん、放っといて、
っていう気持ちが強いのと、反面、周囲を気にして
あ、あの人を傷つけなかったかな、大丈夫かな、なんて
ついつい考え過ぎてしまうのも、その頃の周囲の対応が
実はルーツなのかもしれませんよね。
でもね、いくら相手のことを気にしても、
言ってしまったことを悔やんだり、むしろ、原因も分からず
くよくよと相手の態度を思ってしまうこと、ってね。
完全に独り相撲なんですよね。
実は、相手は気づいてなかったり、気にしていなかったり
ふたを開けてみれば、案外あっさりと解決したりしてね…
なんて言ってるけど、
これは私自身がいつも自分に言い聞かせていること
つまり、私もそれほどにくよくよする人間なんですよ。
だけどね、だからこそ、心を病むほどに悩む人の気持ち
本当によく分かります。
いくら人の話に同意したとしても、他人の話にどこまで
本気で向き合えるのか、それはやっぱり難しいことです。
同情してほしいときもありますよね、
理屈じゃなくそばで聞いてほしいときもありますよね。
そんなときの塞がった心を、ちょっと知っている私は
そう、繊細、な人間なんだなぁ
今、悩みや苦しみを抱えている人、
きっとあなたも繊細な人なんですよね。
「繊細」ってね、すてきな響きですよ。
決して暗かったり重かったりのイメージじゃないし
本当に悪いことなんかじゃない、
むしろ、気がつく心、優しい心、
輝くガラスのハートなんです。
だからね、傷ついてしまったら、丁寧に拭いて
優しく磨いてあげましょうよ。
決してキズが消える訳じゃないけれど、
そのたくさんのキズはきっと、また光を浴びて
新しい角度に輝き始めるでしょう。
今回は、私自身に言い聞かせている話でもあります。
だけど、きっと繊細なあなたに分かってもらえる、
そう信じて書きました。
この記事は、2011年8月2日(火)にFC2ブログに投稿したものを編集しています。