こころの話

子どもに、本音で語ってますか

特に強い意志があったわけではなく、ごく自然な思いで
何か大きなことを決める時は、家族揃って相談する、というのが
ずっと我が家のやり方です

例えば、ウチの3人の子どもたちは京都生まれの京都育ち…
でも我々両親は違うし、いずれは東京で仕事をしたい、という
強い思いがあったため、ある時期に、子どもたちに相談しました。
小学校5年生、2年生、そして4歳、「相談」というよりも
本来は「報告」とでも言うべきでしょうが、
私はちゃんと子どもたちの意見を聞きたかったし、聞きました。

そのとき、長女はこう言いました。
「中学から他所に移るより、小学生時代を共有して中学に進みたい」
つまり、短い期間でも小学生時代に友だちになっておきたい、
っていう子どもなりの気持ちだったんですね。
親としては、中学校入学と同時の方がいいかと区切りを考えて…
でも、なるほど、と子どもの気持ちを汲み取ることができました。

小2の長男は理屈っぽい子だったので、何を言うかと思いましたが
引越に伴っての住居の問題がごたごたしているのを知っていて
「雨に当たらないで眠れる家があれば、どこだって大丈夫だよ」
と言ったのです。
これには母も、ちょっと泣きそうになりました…

さすがに 4歳になる直前のちびっこには説明するだけでしたがね。

その後、離婚をすることになった時も、もちろん、同じでした。
子どもたちはそれぞれの思いを語って、母の背中を押してくれました。

これはある意味、親としてのズルさもあると思います。
「相談」という形をとって、子どもたちにも責任を負わせる…
もしもこのあとに、私が「あんたたちが言ったじゃない」なんて
そんなこと言ったら、ね、信頼関係は完全に崩れますよね。

こんな我が家の方針は、あまり一般的じゃないのでしょうか。

以前、私立高校の事務室に勤める友人から聞いた話です。
バブル崩壊後、お父さんがリストラされて授業料滞納…
 督促書類は子どもに持たせないでほしい、
 子どもはなにも知らないのだから
と、お母さんが事務室に文句を言いに来られたとか。

それを聞いて私はびっくり、
だって、家族の危機、ですよね。
そんなときに、もし自分だけ何も知らされずに、
昨日までと同じようにお小遣いをねだり、知らずに親に苦労をかけ…
もし、いつか真実を知ったとき、傷つきはしないでしょうか。

現実を知らせて、一緒に協力することが家族のチカラじゃないのか。
(離婚した我が家が言うのもナンですが…)

インフォームド・コンセント
説明と同意、っていう言葉が医療関係で使われますよね。
納得診療、ということですが、なぜこれが大切なのかというと
「自己決定権」があると知れば、患者さんの安心にもつながる…
という、大切な心の問題でもあるんですね。
適切な治療を受けるために、自分自身が納得して前に進む…

これは医療行為だけじゃなくて、様々なことに言えるんじゃないか
それを家族関係、親子関係でも大いに感じたのです。

隠し通せるウソはない、って 私は思っています。
ウソが苦しいものであるのは、子どもの頃の苦い思い出、
みんなひとつやふたつ、あるんじゃないでしょうか。

子どもだから、とか、今はまだ、いつか必ず、とか言い訳せずに
もちろん、子どもに判断を求めて責任を負わせたりはせずに

家族の一員として、
今だからこそ、しっかりと向合いませんか。

今からで、いいんですよ。
きっと間に合います。
だって、子どもは日々成長しているんだから
見くびらないで、自分の子どもだもの。
大丈夫、自分の子どもだもの。

自分がしっかり向合えば、すぐにではなくてもね
きっと、必ず、分かる日が来ます。
一緒に語ってみませんか。


この記事は、2011年7月12日(火)にFC2ブログに投稿したものを編集しています。

投稿者

tokyomatsuzaki@gmail.com
サイト管理人です。

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